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60年台の小澤は本当に凄い。
1970年代の小澤征爾は、やはり良いですね。ボストン交響楽団もコンマスにシルヴァースタインがいた頃がミュンシュじだいからの貴族的なサウンドがまだ残っていて美しい。小澤体制が進んだ1990年代になると、1970年代当時の黄金期の名残りを感じさせるサウンドが大きく後退してしまいます。1970年代当時のレコードではラヴェルの管弦楽曲全集(独グラモフォン)が最高の遺産でしょう!
67年のフィナーレ、今まで色々な指揮者で聴いたけれど私の中ではベスト。全楽章残ってないのかなぁ。
元気なオーケストラが日本なくなったのが残念。
旧日本フィルの、ドタドタしたあわただしいアンサンブルと何の魅力もない響きを前に煽り立てるしかなかった67年。一方、ボストン響の美しく輝かしい響きを堪能してもらうため余裕のあるテンポで進めた78年(ボストン響との初凱旋公演)。どちらもその時々のコンサートで最善を尽くした演奏だと思います。ただボストン響で、魔女のロンドの入りでテンポが緩んでしまったのは小澤さんが慎重になりすぎたのか、オケの抵抗なのか。演奏はじりじりとテンポアップして華やかに終わりますが、終演後の小澤さんの表情はどことなく冴えませんね。
日フィルとの演奏では主旋律重視でありボストン響との演奏はアンサンブル重視と聞こえる。元々オケの実力差があるから単純に比較はできないが、指揮者の余裕の差が大きい気がします。
最後の所で頭仰け反るのは一緒。ミンシュのと比べると結構似てるような気がします。
What orchestra was this in the 1967 one?
Japan Philhamonic Orchestra(Former organization)
小澤が年を取るごとに詰まらなくなってゆくのを確認するのは辛い。60年代の幻想は素晴らしい。トロントのライヴなどは本当に天才だし、当時の録音も素晴らしいのに、70年代の録音はリハーサルそのもの。全くどうなっているのだろうか。。。
同感。この旧体制の日フィルの前年(1966年)のトロントでの録音はLPからの復刻CDを持っている。残された映像や録音で聴く限りでは、1960年代後半の小澤征爾30代、頭髪も短めな頃が一番良かったように思う。その頃の生演奏を聴きたかった。この動画後半のボストン響を率いての1978年凱旋帰国演奏会は、中途半端に巨匠然と振舞おうとしていて、1967年当時の覇気が感じられない。白いタートルネックもカラヤン辺りからの影響なのか、あまり感心しない。 吾輩は今から20年程前の二千ぜロ年代前半に埼玉会館(在さいたま市浦和区)で小澤征爾のブルックナー1番を聴いたが、これが生で小澤を聴いた最初で最後の思い出となってしまった。楽都ウィーンからの凱旋帰国で当時60代。傍目(というよりマスゴミ的視点)から見ると小澤はキャリアとして最高峰にまで上り詰めた感があった。近頃の訃報では一切話が出ないが、実は当時ウィーンで小澤は不評だったし、小澤本人にとっても人生最大の挫折を味わったのではなかろうか。日本マスゴミの浮かれ騒ぎぶり(特に2002年ノイヤールコンツェルト時がひどかった)と、それに反比例するかのような自身の不調と不評。埼玉会館での演奏もスケールが小さくチマチマと纏まり過ぎなように感じられた。楽団はおそらく新日本だったと思うが、楽団員にしても満席の聴衆にしても小澤が舞台に登場するまで張り詰めた緊張感があった。この緊張感は決して悪いものではなく、むしろ心地よかった。その後、松本で聴こうとした時には小澤の体調不良により代役を立てられてしまった。
このおじさんたち誰目線で語ってるの?見るに耐えない
最近の小澤さんの動画で、このようなコメントだったらただの酷評ですが、こちらの動画でのコメントですので、いかにこの頃が素晴らしかったか、というコメントですので、宜しいのでは、と個人的には思いました。
気持ちはわかる。彼の功績は大きい。前向き。
詰まらない、というような相当な上から目線ですね。それを見せられる人の事は考えてもいないですよね。嫌な感じですよ😢事、芸術を語るにあたっては、それぞれの自由ですが、詰まらない、というような、検証のできないいいぱなしはくそです。気分が悪くなるだけ。この場所は不特定多数の人が自由にで入るする場所なので、言葉使いに気を使ってください。人をディスりたいだけなら、うちわだけでやって下さい。
60年台の小澤は本当に凄い。
1970年代の小澤征爾は、やはり良いですね。ボストン交響楽団もコンマスにシルヴァースタインがいた頃がミュンシュじだいからの貴族的なサウンドがまだ残っていて美しい。小澤体制が進んだ1990年代になると、1970年代当時の黄金期の名残りを感じさせるサウンドが大きく後退してしまいます。
1970年代当時のレコードではラヴェルの管弦楽曲全集(独グラモフォン)が最高の遺産でしょう!
67年のフィナーレ、今まで色々な指揮者で聴いたけれど私の中ではベスト。
全楽章残ってないのかなぁ。
元気なオーケストラが日本なくなったのが残念。
旧日本フィルの、ドタドタしたあわただしいアンサンブルと何の魅力もない響きを前に煽り立てるしかなかった67年。一方、ボストン響の美しく輝かしい響きを堪能してもらうため余裕のあるテンポで進めた78年(ボストン響との初凱旋公演)。どちらもその時々のコンサートで最善を尽くした演奏だと思います。
ただボストン響で、魔女のロンドの入りでテンポが緩んでしまったのは小澤さんが慎重になりすぎたのか、オケの抵抗なのか。演奏はじりじりとテンポアップして華やかに終わりますが、終演後の小澤さんの表情はどことなく冴えませんね。
日フィルとの演奏では主旋律重視でありボストン響との演奏はアンサンブル重視と聞こえる。
元々オケの実力差があるから単純に比較はできないが、指揮者の余裕の差が大きい気がします。
最後の所で頭仰け反るのは一緒。ミンシュのと比べると結構似てるような気がします。
What orchestra was this in the 1967 one?
Japan Philhamonic Orchestra(Former organization)
小澤が年を取るごとに詰まらなくなってゆくのを確認するのは辛い。60年代の幻想は素晴らしい。トロントのライヴなどは本当に天才だし、当時の録音も素晴らしいのに、70年代の録音はリハーサルそのもの。全くどうなっているのだろうか。。。
同感。この旧体制の日フィルの前年(1966年)のトロントでの録音はLPからの復刻CDを持っている。残された映像や録音で聴く限りでは、1960年代後半の小澤征爾30代、頭髪も短めな頃が一番良かったように思う。その頃の生演奏を聴きたかった。この動画後半のボストン響を率いての1978年凱旋帰国演奏会は、中途半端に巨匠然と振舞おうとしていて、1967年当時の覇気が感じられない。白いタートルネックもカラヤン辺りからの影響なのか、あまり感心しない。
吾輩は今から20年程前の二千ぜロ年代前半に埼玉会館(在さいたま市浦和区)で小澤征爾のブルックナー1番を聴いたが、これが生で小澤を聴いた最初で最後の思い出となってしまった。楽都ウィーンからの凱旋帰国で当時60代。傍目(というよりマスゴミ的視点)から見ると小澤はキャリアとして最高峰にまで上り詰めた感があった。近頃の訃報では一切話が出ないが、実は当時ウィーンで小澤は不評だったし、小澤本人にとっても人生最大の挫折を味わったのではなかろうか。日本マスゴミの浮かれ騒ぎぶり(特に2002年ノイヤールコンツェルト時がひどかった)と、それに反比例するかのような自身の不調と不評。埼玉会館での演奏もスケールが小さくチマチマと纏まり過ぎなように感じられた。楽団はおそらく新日本だったと思うが、楽団員にしても満席の聴衆にしても小澤が舞台に登場するまで張り詰めた緊張感があった。この緊張感は決して悪いものではなく、むしろ心地よかった。その後、松本で聴こうとした時には小澤の体調不良により代役を立てられてしまった。
このおじさんたち誰目線で語ってるの?
見るに耐えない
最近の小澤さんの動画で、このようなコメントだったらただの酷評ですが、こちらの動画でのコメントですので、いかにこの頃が素晴らしかったか、というコメントですので、宜しいのでは、と個人的には思いました。
気持ちはわかる。彼の功績は大きい。前向き。
詰まらない、というような相当な上から目線ですね。それを見せられる人の事は考えてもいないですよね。嫌な感じですよ😢事、芸術を語るにあたっては、それぞれの自由ですが、詰まらない、というような、検証のできないいいぱなしはくそです。気分が悪くなるだけ。この場所は不特定多数の人が自由にで入るする場所なので、言葉使いに気を使ってください。人をディスりたいだけなら、うちわだけでやって下さい。